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今回は、東海地方の歴史めぐりです。
静岡県浜松市にある浜松城・三方原の戦いがあった周辺を写真を撮影してきました。
浜松城の歴史
今年は浜松がじわじわ盛り上がってます。
NHK大河ドラマ「どうする家康」に合わせて浜松城がリニューアルされました。
浜松城は静岡県内でも数少ない天守を備えるお城です。
浜松市中区元城町の浜松市役所に隣接しています。
元々は現在の天守から北東側約300mの位置に引馬城がありました。
桶狭間の戦いの後、家康は織田信長と清州同盟を結びます。
今川の領土を奪うため東進し、元亀元年(1570)岡崎から引馬城に入りました。
武田信玄の侵攻に備える前線基地として拡張、整備されて行きます。
現在、天守のある場所は1580年頃に整備され、1590年頃に堀尾氏によって天守が築かれれました。
引馬城跡地は現在、元城町東照宮になっています。
浜松という地名は「武徳編年集成」によると永徳12年(1569)5月7日に「神君馬引馬の城に帰り玉ひ城の名を浜松と称すへき由」という記述があり、家康が城の名を浜松に改称されたと言われてます。
三方原の戦い
三方原古戦場
元亀3年(1572)武田信玄は約3万人の軍勢で浜松に侵攻します。
一方の家康軍は約8千人と織田方の援軍約3千人です。
武田信玄が浜松城をスルーして西を目指そうとしているとの知らせを聞いて、当時、血気盛んだった家康は、浜松城から出陣し奇襲を狙います。
しかし、これは信玄の策略で、信玄は家康軍に向かってきます。
その地が三方原で、三方原の合戦となり、家康軍は惨敗しました。
家康軍は総崩れとなって、浜松城に退却しました。
この時にウンチを漏らしながら逃げたと逸話は有名で、岡崎城にはその時を描いた像が建てられてます。(真偽は不明)
その三方原古戦場は現在、三方原霊園になっています。
犀ケ崖
三方原の戦いで惨敗した家康は、浜松城に逃げ帰ります。
家康を追って武田軍は浜松城に向かってきます。
家康軍は僅かな兵しかなく、攻め込まれたら全滅していたでしょう。
この時、酒井忠次が門を開けて、城の中にかがり火を焚いて真昼のように明るくしました。
さらに味方を奮い立たせるため、太鼓を打ち鳴らしました。
武田軍は策があると感じ、攻め込むことを止め、犀ケ崖に陣を置いて一晩明かすことにしました。
そこに家康は鉄砲隊を作って奇襲をかけました。
不意をつかれた武田軍は暗闇の中で慌てふためきました。
多くの兵が深い谷底になっている犀ケ崖に人馬もろとも落ちてしまいました。
その結果、武田信玄は浜松城を落とすのは後回しにして、西に進んでいったそうです。
この戦により両軍とも死者を多く出しました。崖の上にある宗円堂には死者の霊が祀られており、死者の霊を慰めるため、毎年7月15日に「遠州大念仏」が行われています。
犀ケ崖の地名の由来
犀ケ崖は、宿場から三方原台地にかかる西のはずれにあたり、当時は宿場に暮らしていた人々の墓場だったそうです。
三方原台地は地震に強く人気ですが、当時は人々が暮らせない不毛の地でした。
家康に由来した地名の数々
- 小豆餅と銭取
武田軍から逃げる最中、家康はお腹が減ったので小さな茶店によって小豆餅を食べます。そこに武田軍の声が聞こえてきます。慌てた家康はお金を払わず逃げ出します。
それに気づいた店のおばあさんが、ただぐいは許さんとばかり追いかけてきたので、家康は大急ぎでお金を払いました。
それ以来、あずきもちを食べたところが「小豆餅」、金を払ったところが「銭取」と家康が名付けたそうです。
- 布橋
武田軍は犀ケ崖に陣を取っていました。その崖にあらかじめ白い布を渡して橋に見せかけた上で奇襲をかけ、慌てた武田軍が橋と見誤って崖から転落したとの伝説があります。
それにちなんだ布橋という地名が現在も残っています。
浜松八幡宮
家康にとって浜松八幡宮の逸話は雲立の楠が有名です。
元々は1051年八幡太郎義家が参籠の折り、御旗を立てたという伝承から「御旗楠」と称されていた。
家康は追いかける武田軍から隠れるため、雲立のクスの洞穴に潜んでました。その時、瑞雲が立ち上がったことから「雲立の楠」と称されるようになったそうです。
他にも颯々の松(ざざんざ)の石碑が建ってます。颯々の松は浜松という地名の由来にもなっています。ザザシティという商業施設がありますが、名前は一般公募で決められたそうです。「ざざっと人の集まるイメージと語感の良さ」などから決定されたそうですが、颯々の松に掛けていると思われますね。
歴史好きおすすめ度
項目 | 評価 |
---|---|
場所 | 浜松市役所に隣接してアクセスは良い。 |
駐車場 | 市役所の駐車場は有料。混雑する。 |
人気 | 大河ドラマの影響もあり非常に人気。 |
食事 | 公園内にスタバがある。 |
歴史好き満足度 | 非常に楽しめます。 |
総合評価 | 非常に満足です。 |
浜松城は家康が17年過ごしました。
歴代城主も幕府の要職に登用されたものも多いため、「出世城」と言われてます。
これから起業する方や出世したい方にはお薦めのスポットです。
また隣接する浜松城公園は桜の名所です。
花見シーズンは多くの人で賑わいます。
2023年は特におすすめのスポットです。
感想