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今回は、東海地方の歴史巡りです。
愛知県岡崎市は、岡崎城がある城下町です。現在は道路が整備されていますが、江戸時代は岡崎城を囲むように東海道(旧街道)が通っていました。
この旧街道の欠町から八帖町までが「岡崎二十七曲り」と呼ばれる道であり、当時の面影を残しているので、写真を撮りながら歩いてきました。
岡崎二十七曲りの成り立ち
岡崎城下の整備は、徳川家康ではなく豊臣秀吉方の田中吉政が始まりです。
田中吉政が1590年に岡崎城主になってから、天守の創建や総堀を構築するなど城下の整備に取りかかりました。
この総堀は田中堀とも呼ばれ、東西約1.5km、南北約1.0kmまで及びます。
その後城主となった本多康重が矢作川に初めて橋をかけ、東海道を城下に引き入れました。
1601年の伝馬制より岡崎宿となりました。さらに江戸時代に入ると、戦がなくなり曲くねっているのが幸いして、岡崎宿はますます発展しました。
曲がりくねっているのは、まちの防衛のためで、1609年(慶長14年)以降に「東海道岡崎城下二十七曲り」と呼ばれるようになりました。
当時の岡崎宿は本陣3軒・脇本陣3軒の計6軒あり、小田原・箱根に次ぎ東海道五十三次の中で3番目の規模だったそうです。
岡崎二十七曲りを歩く
今回は、東の江戸側から西の京都方面へ向かうルートで歩きました。
江戸からのスタート地点
二十七曲りの碑があります。
根石町と若宮3丁目の境にあります。
ろ
両町三丁目付近です。真っ直ぐ進みます。
は
両町角です。ここを北(右折)に曲がります。
に
西(左折)に曲がります。両町1丁目から伝馬町5丁目に入っていきます。
ち
本町通りに入ります。
ここを西(左折)に曲がっていきます。
り
材木町1丁目の交差点です。
ここを北(右折)に曲がります。
ぬ
材木町角の碑があります。
ここを西(左折)へ曲がっていきます。
る
柿田橋がありますが、この橋を渡らず伊賀川沿いを南(左折)に曲がります。
材木町より下肴町の碑があります。
三清橋
三清橋を渡ります(右折)。
ここから橋の上から天守が見えます。
を
三清橋を渡たりきると、左わきに下りの歩道があり、
下っていきます。
下りきると27曲がりの看板があり、看板のとおり南側に(左折)曲がっていきます。
ここから田町に入っていきます。
田町角
進んでいくと国道に突き当たります。
そこに田町角の碑が建ってます。
(わ)の看板があるはずですが、
どこにあるかわかりませんでした。
板屋町入り口
国道を横断して西側に進むと板屋町入り口の碑が建ってます。
ここを南方(左折)に進みます。
(か)の看板があるはずですが、
どこにあるかわかりませんでした。
よ
板屋町の床屋さんのところでT字路になっていて、
ここを西(右折)に曲がっていきます。
た
進んでいくと県道248号線の中岡崎町の交差点にぶつかります。
横断歩道を渡ったところに松葉総門跡の碑が建ってます。
ここから松葉通りに入り、さらに西方に進んでいきます。
れ
愛知環状鉄道線の高架下に八帖村の碑が建ってます。
その横に八名信夫さんの手形があります。
2006年のNHK連続ドラマの純情きらりのロケ地みたいです。
宮崎あおいさんの手形もどこかにあると思います。
ここから八帖往還通りに入り、さらに西に進みます。
八帖往還通り
突き当たりに左江戸の碑が建ってます。ちなみに右西京と記入してますが、写真の撮り方が悪かったです。ここを北(右折)に曲がります。
矢作川ゴール地点
そのまま進んでいくと国道にぶつかります。
ここの階段を登ると矢作川に出ます。
歴史好きおすすめ度
項目 | 評価 |
---|---|
場所 | 岡崎市街です。 |
駐車場 | 有料駐車場が多くあります。 |
人気 | マイナーです。 |
食事 | 食事には困りません。老舗の和菓子屋もあります。 |
歴史好きおすすめ度 | 超歴史好きにはおすすめします。 |
総合評価 | ウォーキングにも良いです。 |
岡崎二十七曲りは、「いろはにほへとちりぬるを・・」で案内看板が出ています。
籠田総門通りから籠田公園あたりは、わかりにくいます。
距離的には半日で歩け、ウォーキングに良いです。
老舗の和菓子屋が多くあるので、女性にもおすすめします。
感想