【東海地方の歴史めぐり】駿府城公園「家康をめぐる旅2」

写真や動画、撮影テクニックや現像、機材の紹介、東海地方の撮影スポットの紹介など、カメラに関するありとあらゆるネタを更新しています。

今回は、東海地方の歴史巡りです。

静岡県静岡市のど真ん中、駿府城公園に行って写真撮影してきました。

駿府城公園の案内
目次

駿府の歴史

駿府は室町時代から今川氏が守護職として統治してました。

9代目今川義元(1519〜1560)の頃が全盛期で、1549年に徳川家康(幼少期は竹千代)は、今川義元の下に人質となります。

1560年に桶狭間の戦いで、今川義元が織田信長に討たれた後、今川氏は急速に力を失い、1568年に駿府は武田氏に奪われました。

駿府城の紹介

1575年長篠の戦いで、武田軍が織田信長・徳川家康連合軍に敗れた後、武田氏は衰退していき、1582年徳川家康が駿府を奪います。
1585年徳川家康が駿府城の築城を開始し、1589年に完成します。

1605年征夷大将軍の徳川家康は、将軍職を徳川秀忠に譲り、翌1606年から再び駿府城の修築に着手します。駿府の町割りや安倍川の治水に取り掛かり、現在の静岡市街地の原型が作られます。

1607年三重の堀に囲まれた曲輪で、内側から本丸、二の丸、三の丸とする壮大な輪郭式のお城が完成します。

その後、焼失してしまいますが、1608年に本丸完成、1610年に天守が完成しました。

江戸時代以後、火災や地震で壊れますが、その度に修復します。
1867年には大政奉還により15代将軍だった徳川慶喜が、駿府城に隠居します。

明治時代に入り、廃藩置県により駿府から静岡に変わった後、1870年に駿府城は破壊された。南側の建物は県庁になり、お堀の内側は駿府城公園になりました。

駿府城の天守は日本一の大きさだった。

駿府城公園の見どころ


駿府城公園は巽櫓や東御門、二の丸坤櫓が復元されています。
公園を取り囲んでいるお堀には、鴨が気持ちよく泳いでます。
現在は、天守台の発掘調査が行われており、天守を復元する計画があります。

東御門橋
北門橋
二の丸橋
西門橋
東御門
坤櫓からみる富士山
二の丸堀から見る坤櫓
二の丸水路
天守台現在発掘調査中
坤櫓
本丸堀
巽櫓
カモの群れ

歴史好きおすすめ度

項目評価
場所
静岡市の中心です。
駐車場
繁華街に多くありますが少し歩きます。
人気
静岡市民のイベントスポットです。
食事
周辺にあります。イベントのない時は公園にはありません。
歴史好き満足度
天守ができたら星5つです。
総合評価
満足です。

駿府城公園は桜のスポットでもあり、撮影スポットとしても魅力あります。

公園の南側には静岡市歴史博物館があり、セットで訪れたいスポットです。

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