【東海地方の歴史めぐり】岡崎城「家康をめぐる旅1」

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今回は、東海地方の歴史めぐりです。

愛知県岡崎市にある岡崎城を写真撮影してきました。

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岡崎公園案内

2023年の大河ドラマは「どうする家康」ですね。
徳川家康は江戸幕府を開いたことで有名ですが、東海地方には多くの言い伝えが残されています。
そんなことで今年は家康を巡る旅をしたいと思います。

目次

岡崎城の紹介

家康が幼少期までの岡崎城

家康の祖先は、松平郷(現豊田市松平町)の小豪族でしたが、徐々に勢力を伸ばし、7代目の清康が岡崎城を取得して、本拠地を岡崎城に移しました。
清康は家康の祖父にあたります。清康は非常に有能な人物で、勢力を拡大していきました。

しかし、天文4年(1535年)に織田信秀を攻略するため出陣したが守山城を攻める際、家臣の阿部正豊に暗殺される事件「森山崩れ」が起きてしまいます。これ以降、松平家は衰退の道を辿っていきます。

8代目広忠(家康の父)はまだ10歳であったため、松平家の中で内紛が起きて、伊勢や遠州に逃げた挙句、天文8年(1539年)に今川氏の家臣となり、翌年(1540年)に岡崎城を占領し帰還しました。

竹千代ことのちの徳川家康は、天文11年(西暦1542年)に岡崎城で生まれました。
その後、天文18年(1549年)駿府の今川氏の元に人質に出されてしまいます。
当初は1547年に今川氏の元へ人質に出す予定でしたが、一旦織田側に奪われています。
家康の幼少期は、波瀾に満ちていました。

桶狭間の戦い頃の岡崎城

今川氏の人質となった家康は、僧侶でもある軍師の太原雪斎の下で学問を学び、弘治元年(1555年)に松平元信で元服します。その後、瀬奈姫(築山殿)と結婚、元康に改名します。

永禄3年(1560年)今川義元が尾張の織田信長を討つため出陣します。
この時、元康は大高城に兵糧入れを命じられ、見事に役割をこなしましたが、今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれました。

元康は窮地の中、岡崎城に帰還し、今川家から独立し、織田信長と清州同盟を結び、岡崎で自立していきます。

田中吉政城主の岡崎城

当時の岡崎城は砦のようなものでしたが、豊臣家の家臣の田中吉政が城主になると徐々に整備されていきます。文禄元年(1592年)に城の東周りに総延長約4.7kmにも及ぶ総堀を作ります。

この田中吉政は町づくりの達人で、岡崎の発展に貢献した人物です。くねくね曲がった道は「二十七曲り」と呼ばれ、東海道でも屈指の宿場町に発展していきました。

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天守閣東側にある清海堀
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天守閣南側の龍城堀

田中吉政は、関ヶ原の戦いで東軍(家康側)につき、恩賞として筑後の国柳川城32万石(福岡県柳川市)が与えられ、大名となりました。その後、柳川の用水路を整備し、近代的な町作りを行いました。現在でも柳川の川下りは有名な観光スポットで、川下りの途中には銅像が建っており、地元では「土木の神様」と称されています。

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二十七曲り石碑

岡崎城天守の完成

1600年から本多康重が岡崎城主となります。江戸時代に入り、元和3年(1617年)に康重の子である本多康紀がによって天守が築かれました。当時の東海地方では3番目に大きかったそうです。

明治時代に入ると廃城令により廃城され、敷地は龍城神社と岡崎公園として整備されました。1959年に天守が復興され現在に至ります。

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紅葉と岡崎城
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南側からの岡崎城
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桜と岡崎城
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龍城神社
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二の丸能楽堂

歴史好きおすすめ度

項目評価
場所
名鉄岡崎公園前から徒歩5分。
駐車場
有料駐車場あり。近隣にも有料駐車場があります。
人気
2023年は非常に混雑しています。
食事
公園内に食事処が数軒あります。
歴史好き満足度
歴史好きにはたまらないスポットです。
SNS映えスポット
天守、桜、紅葉など魅力いっぱいです。
総合評価
非常に満足すると思います。

岡崎城は桜の名所100選に選ばれています。岡崎城南側を流れる乙川周辺には約800本もの桜が植えられていて、毎年桜まつりが行われています。

また、二の丸能楽堂周辺にはイチョウやモミジが植えられ、紅葉のシーズンも色あざやかです。

龍城神社は岡崎城天守の隣にあり、徳川家康公・本多忠勝公が祀られています。
出世、開運、安産、厄除けのご加護があります。

二の丸能楽堂は、かつて二の丸があった所で、家康が能を愛していたと言うことで本格的な能楽堂が建てられました。今でも能の演舞や演奏会、武将隊のイベント等が行われています。

大手門は岡崎公園の表玄関で1993年に再建されました。非常に大きく幅16m、高さ11mあります。江戸時代の記録には「桁行十間、梁行二間四尺」あったそうです。

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大手門

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