熱田神宮参拝記

熱田神宮は、年間700万人が訪れる名古屋でもナンバー1の観光スポットです。
そんな熱田神宮を歴史好きな観点から紹介していきます。

目次

熱田神宮とは

熱田神宮の御祭神の「熱田大神」は、三種の神器である草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)御霊代として寄らせられる天照大神です。
相殿に坐す五柱の神は、天照大神(あまてらすおおかみ)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・宮簀媛命(みやすひめのみこと)・建稲種命(たけいなだねのみこと)です。

草薙神剣は、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)であります。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国を平定する際、伊勢神宮を参拝し、倭姫命(やまとひめのみこと)から天叢雲剣と燧(ひうちいし)を授けられ征討に向かわれました。
駿河国で賊に遭遇した際、大和武尊は神剣で草を薙ぎ、燧で向かい火を点け、賊を滅ぼしたことが由来です。その地は、現在の静岡県焼津市といわれてます。

その後、伊吹山の賊を平定する途中で病に倒れ、都に帰る途中の伊勢国で亡くなりました。
妃となった宮簀媛命は託された草薙神剣を尾張氏一族の祭場としていた熱田の地にお祀りしました。これが西暦113年、熱田神宮の始まりです。

熱田神宮

熱田神宮の地理

熱田神宮は、名古屋城あたりから伸びる熱田台地の南端に位置しています。
かつて熱田は森で、現在も樹齢1000年を越す楠が数本あります。

神宮西門の北西300mのところに「白鳥古墳」、神宮から北に600mのところには「断夫山古墳」があり、東海地方最大の規模を誇ります。

日本武尊が白鳥として舞い降りたといわれる「白鳥古墳」、宮簀媛命の墓である「断夫山古墳」の二つの古墳は、御陵として毎年5月8日に御陵墓祭が行われてます。

熱田の森

交通の要衝で、中世には東海道(鎌倉街道)が神宮鵜の北側を通り、近世に入っては東海道五十三次の41番目の宮宿となりました。

東海道は、ここから七里の渡しで伊勢桑名へ船で渡りますが、危険や船酔いを避けるため、陸路の佐屋路を使う人が多かったそうです。また美濃路の分岐点でもあって大いに繁栄しました。

歴史に名を残した人物と繋がり

熱田神宮には歴史に名を残した人物と繋がりがあります。

まず源頼朝です。
熱田大宮司の尾張員信(かずのぶ)の三男員職(かずもと)の娘(松)が、尾張目代の藤原秀重に嫁ぎ、季範(すえのり)を生みました。
藤原季範の三番目の娘が由良御前と言います。由良御前は源義朝に嫁ぎ、源頼朝を生んでいます。

足利氏の始祖・足利義康の妻は、熱田大宮司の範忠の娘です。7代後に足利尊氏がいます。

足利将軍家から援助を受けていて、8代義政は表着や檜扇などの装束類や神宝を奉納しました。また、この頃架けられた二十五丁橋は、名古屋最古の石橋で「熱田神宮絵図」にも描かれてます。

名古屋最古の石橋
二十五丁橋

織田信長は桶狭間の戦い(1560)に向かう途中、戦勝を祈願してます。見事に今川義元を倒した後、お礼に信長塀を寄進してます。

信長塀

徳川家康は織田家の人質時代、熱田町の加藤図書助の家に3年間幽閉されていました。
熱田には特別な思いがあり、別宮八剣宮などの社殿を修復造営を行なってます。

別宮八剣宮

特に徳川綱吉は1686年に大規模な修復を行ってます。参拝した松尾芭蕉は、熱田神宮を見て「磨ぎ直す鏡も清し雪の花」と詠んでます。

熱田神宮は尾張三の宮である

熱田神宮は尾張国の三の宮です。
尾張国一の宮は一宮市にある真清田神社、二の宮が犬山市にある大縣神社です。
この序列は京都からの道のりや国衙(当時の役所)との位置関係でないかと言われています。

熱田神宮の祭礼

熱田神宮は、現在でも多くの年中祭礼行事が行われています。  

封水世様神事(ふうすいよだめし) 1月7日 

年の初めに当年の豊凶を占う神事

踏歌神事 1月11日

平安時代に宮中で行われいたが、いつしか熱田神宮の一行事となった。
五穀豊穣を祈願する神事。

歩射神事 1月15日

オマトウともいい、神楽殿前の広場にて大的を設けて午後一時から始まる。千木に向かって計36本の矢を放ち、撃ち終わると千木や的の細片を一つ残さず奪い取り、縁起物として家に持ち帰る。

酔笑人神事(えようどしんじ) 神輿渡御祭  5月4日〜5月5日

668年、外国の賊徒によって持ち出そうとした神剣が、熱田の地へ戻ったこと喜び、5月4日に「おほほ」を笑い、翌5日に神輿が西門(鎮皇門)まで渡御して、都に向かって皇室や国家の大安をお祈りする祭典。

花の撓(はなのとう) 5月8日

「オタメシ」と呼ばれる農作物や農作業している人形を作り、参拝者がその年の作物の出来を占う祭り。

熱田祭 6月5日

熱田神宮の例大祭で「尚武祭」や「菖蒲祭」とも言われます。
祭神は素戔嗚尊(すさのおみこと)で、起源は一条天皇の寛弘7年(1010)に疫病が流行したため、それを鎮めるため行うようになった。

現在では名古屋の夏の訪れを告げる祭りとして人気で、約1000発の花火が上げられます。

観光としての熱田神宮

熱田神宮に参拝した後は、宝物館で重要文化財を見学することをおすすめします。

私が訪れた時は「美濃と尾張の刀剣展」が行われていました。

食事は、くさなき広場や南門近くの蓬莱軒をおすすめします。

くさなぎ広場

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